だるまを英語で

だるまを英語で言うと?由来は?

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「だるま」を英語で言うと?まずは由来からチェック!

アナ雪の「雪だるま作ろう」の曲を聴いていて、そういえば雪だるまってsnow manだよなと思いました。
「snow」が雪というのは分かるけど、「man」とは? 雪だるまって人じゃないよね……と疑問に思い、だるまについて調べてみることに!
すると、「だるまは漢字では達磨と書き、中国禅宗の開祖とされているインド人僧侶」であることが分かりました。
なんと、もともとはお坊さんだったとは……!

ここでは、「だるま」について調べ、外国人のお友達に英語でだるまを説明する時にはどうしたらいいかについて書いていきたいと思います!

①だるまのモデル「達磨」とは何者?

だるまのモデルとなった人物について調べると、次のようなことが分かりました。

元は王子様

手塚治虫の「ブッダ」や中村光の「聖☆おにいさん」で有名なブッダは、もともとは王子様であったと言われています。
そして、調べてみると、だるまのモデルになった人物も、南インド香至国で生まれた王子だったそうなのです。
私からすると王子なんて恵まれた立場に生まれたんだから、何もわざわざつらい修行なんかしなくても……と思ってしまうのですが、何か思うところがあって、この道を進もうと考えたんでしょうね。
もっとも、第三王子だったそうなので、親の後を継ぐ必要はなかったのだと思いますが。
ちなみに、出家したのは父親である国王が亡くなった後のことだそうです。

だるまに手足がない理由

日本でも良く目にするだるまは、なぜか手足がないスタイルですよね。
今までその意味をあまり深く考えたことはなかったんですが、なんと、だるまに手足がないのは、モデルとなった達磨の手足が腐ってなくなってしまったかららしいのです。
おそらく、ずっと同じ姿勢で座禅を組んでいたため、血流の滞りなどの理由で正常に機能しなくなったのでしょうね。
なんとも壮絶なエピソードですが、ここまでストイックな人だからこそ、今も後世に伝えられるだるまのようなモデルに選ばれたのかもしれません。
一方、「達磨は実際に手足を失ったわけではなく、単にずっと座禅を組んでいたため長い法衣に隠れて見えなかっただけだ」という説もあります。
こちらの説が本当だとすれば、最初にだるまを作った人物は、外からは手足が見えない達磨の姿をそのまま形にしただけなのでしょう。
ちなみに、壁に向かって9年も修行をし続けたことは「面壁九年(めんぺきくねん)」と呼ばれています。

100歳でインドから中国へ

達磨は6世紀の初めにインドから中国に渡ったと言われていますが、それがなんと100歳を超えた年齢だったそうなのです。
どこまで本当なのか分かりませんが没年齢は150歳とされているので、そう思うと時間的な余裕はあったのだと思いますが、100歳という年齢であの時代に別の国へ行こうと思うところがすごいです。
なんせ、当時は陸路も海路も命を落とす人の多い過酷な旅で、若くて健康な人でも躊躇するぐらいでしたからね。
そんな中、達磨は一人で果敢に船に乗って中国を目指し、無事にたどり着いて布教を始めたということです。
なんというたくましさ&信念の強さなのでしょうか。

中国に禅宗を広めた

長い時を経てようやく中国にたどり着いた達磨は、さっそく全の教えを説き始めました。
中国にはすでに禅宗は伝わっていたもののあまり熱心に信仰する人はおらず、そのために最初は難航したと思いますが、やがて達磨にも中国での弟子ができます。
その人は中国の洛陽で仏教の研究をしていた僧侶でしたが、教えを頭で考えて理解するだけでは本当の意味で仏教を理解することはできないと悩んでいた人物でした。
そんなところへ「インドから高僧が来たらしい」という噂が流れたものだから、いてもたってもいられなくなったのでしょう。
僧侶は、少林寺の壁に向かって一心に修行を続ける達磨に「弟子にしてくれ」と頼みますが、達磨は返事もしてくれません。
しかし、なんとしてでもこの方に教えを請いたいと思いつめていた僧侶は、雪が降る寒い中、一晩中外で待ち続けたのです。
ところが、そんな僧侶を達磨は「仏教は命がけで悟りを開くものだ」と追い返そうとしました。
そこで僧侶がとった行動が、なんと自分の片腕を切り落として達磨に差し出し、己の覚悟を示そうというもの!
僧侶の覚悟を認めた達磨は弟子となることを赦し、「慧可(えか)」という名前を与えたと言われています。

▼禅宗とは?

達磨が命がけでインドから中国へ渡ってでも広めたいと考えた禅宗は、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗(おうばくしゅう)の総称です。
修行をする際には達磨のように座禅を組むスタイルで、これによって人の内面に宿る仏の心に気付き、悟りを開こうというものなのだとか。
ちなみに、厳密には宗教ではなく、あくまでも禅の教えを旨とする宗派の総称であり、開祖は達磨だと言われています。

だるまの顔が今のようになった理由

中国の少林寺で来る日も来る日も壁に向かって修行を続ける達磨の姿は多くの人の感動を呼び、やがて彼を支持する人が増えてきました。
しかし、目立つことをすれば叩かれてしまうのはどこの国や時代でも同じようで、達磨が修行する姿を忌み嫌い、毒を盛ったり、石をぶつけたりするような人もいたのです。
しかし、達磨はどんな迫害にも負けず、ただ一心に壁に向かい続けました。
とはいえそれがつらくないはずはなく、達磨は必死に耐え、それが苦悩となって顔に現れたのでしょう。
私達がよく目にするだるまのキッと前を向いた厳しい顔は、現実にくじけまいとして実際に達磨が浮かべていた苦悶の表情だったと言われています。

日本で聖徳太子に会っていた!?

達磨には、613年に奈良で聖徳太子に会ったという伝説もあります。
なんでも、聖徳太子が馬で歩いている時に道端で倒れている老人に気付き、ぼろぼろの様子を不憫に思って食べ物と衣類を与えたのだとか。
この時、聖徳太子は「しなてる 片岡山に 飯に餓て 臥せる その旅人のあはれ 親無しに 汝 生りけめや さす竹の 君はや無き 飯に餓て 臥せる その旅人あはれ」という歌を詠みましたが、これは万葉集に残されているそうです。
これに対し、達磨は「いかるがの 富の小川の絶えばこそ わが大君の 御名忘られめ」と返歌しました。
これでこの時は別れたものの、老人のことが気になった聖徳太子は翌日にも供の者を使って様子を見に行かせています。
残念ながらすでに老人は息絶えていましたが、これを悲しんだ聖徳太子は老人を丁重に埋葬しました。
それからもなぜか聖徳太子は「あれはもしかして尊い方だったのではないか」との思いから逃れられず、再び供の者に墓を見に行かせたのです。
ところが、なぜか埋めたはずの遺体はそこになく、聖徳太子が与えた衣類がきちんとたたまれて置いてあるではありませんか。
聖徳太子は驚くとともに「やはりあの御仁は高名な達磨大師の生まれ変わりに違いない」と得心し、たたんであった衣を身にまとったと伝えられています。

②縁起物としての「だるま」

今日では当たり前のように目にする「だるま」ですが、今回こうして調べてみて、自分がだるまについてほとんど何も知らないことに気が付きました。
そこで、外国人からも質問されそうなことを中心に調べてみました!

だるまはいつから飾られるようになったのか

だるまは縁起物としてよく飾られていますが、作られ始めたのは1400年前の中国で、日本には室町時代に伝わったとされています。
室町時代には底のほうにおもりを入れた「起き上がりこぼし」として親しまれていましたが、それが今のだるまとなったのは江戸時代。
もちろんモデルは達磨で、何度倒してもたくましく起き上がってくる姿が不屈の精神を表すとして人気を博し、人々の間に広まったと考えられています。

なぜだるまは赤いのか

だるまには青や黒のものもありますが、日本では赤いものが圧倒的に多いですよね。
これは、日本で赤色が魔除けの効果を発揮すると信じられていたからです。
そう考えてみると、神社の鳥居は赤いし、売られているお守りも赤いものが多いような?
色が赤くて顔はあの達磨……だるまって、なんだか最強の縁起物のような気がしてきました。
また、江戸時代にはだるまの赤い色が当時流行っていた疱瘡よけになるとも言われ、そのせいで売れ行きはかなり良かったそうです。
なんでも、疱瘡をまき散らすとして忌み嫌われていた疱瘡神が赤い色を避けたがるという言い伝えがあったのだとか。
また、実際にモデルとなった達磨は赤い法衣を身に付けていることが多かったとも言われていますよ。

なぜ目入れをするの?

選挙の時にテレビを見ていると、当選した議員がだるまに目を書き入れるところが映されますよね。
これは普通選挙法が施行された後の日本で、商魂たくましいだるま屋さんが「選挙に勝てるという縁起物だよ!」と売り出したことがきっかけで広まったものだそうです。
バレンタインのチョコレートもそうですが、自分のところの商品を売りたいと考えるお店屋さんのバイタリティとアイディアには本当に感心させられます!
また、「なぜだるまは赤いのか」でも説明したように、当時の江戸の町では疱瘡が流行っており、これによって視力を失う人が多くいました。
なので目がきれいに描かれただるまは「縁起がいい」ともてはやされましたが、逆にあまり上手に描かれていないものは「縁起でもない」と売れなかったのです。
そこで、腕に自信のないだるま屋さんが「それならいっそのこと、買った人に自分で目を書き入れてもらえばいい」と考えつき、あえて目を入れないままのだるまを売り出すことにしました。
この時、目のないだるまを買った人達は、自分や大切な人達が疱瘡にかかって視力を失わないよう、願いを込めて目を書き入れたんでしょうね。
これがやがて「だるまに願掛けしながら目を描き、願いが叶ったらもう片方にも目を描く」という風習になったと言われています。
ちなみに、願い事をする時は左目(向かって右)にまず目を書き入れ、願いが叶った時は右目を描くというのが一般的だそうですよ。

有名なのは高崎だるま

だるまは日本各地で作られていますが、最も有名なのは群馬県高崎市で製造される「高崎だるま」です。
高崎市でだるまが作られ始めたのは今から約200年前のことですが、50あまりの店が現在も製造を続け、年間出荷数は約90万個!
すごい数字ですね……選挙の時に使われるだるまも、そのほとんどが高崎だるまだそうです。
ちなみに高崎では観光客にだるまの絵付け体験をさせてくれるお店もあるということで、私もぜひ行ってみたいと思いました。
そもそも高崎だるまは、農業を営む人達が、冬に乾燥しやすい気候を利用して、農業ができない間の副業として始めたものだそうです。
だるまは木に紙を張って作るので、湿気の多い土地では作りにくいのでしょうね。
それが今では高崎における一大産業となっているのですから、何がきっかけて名産品が生まれるか分からないものです。

③だるまを英語で説明

Dharma is a traditional Japanese good luck charm created by paper.

だるまは、日本の伝統的な紙でできた縁起ものです。

Dharma is modeled after Bodhidharma who was a founder of Zen Buddhism.

禅宗の開祖、達磨がモデルです。

Usually, Dharma is painted by red, because red is considered as a lucky color.

通常、ダルマは赤色です。これは、赤が幸運の色とみなされているためです。

Mainly, Dharma is for the people who want to succeed something, like candidates for election and examinees for qualification exam, etc.

主に、だるまは選挙の候補者や資格試験の受験者など、何かを成功させたい人のためのものです。

When first purchased, Dharma's left eye of its two eyes is blank.

最初買った時は、だるまの左目には何も描かれていません。

When someone who wants to succeed achieves their goal, he or she paint in the left eye.

成功したい人が目標を達成すると、だるまの左目に目を入れます。

だるまを英語で説明するなら、由来から要チェック!

だるまって、いつも何気なく目にしてたけど、こういう歴史や想いが込められたものなんですね。
私も、英語力の上達を願って目のないだるまを買ってみようかなと思ったし、外国の方へのお土産としても喜ばれそう!
それにしても日本文化って深い……アジアって、やっぱりこうしてつながってるんだなと思いました。

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